効能不明な劇薬 (世界女性会議2008)
児童ポルノは児童虐待で絶対許すべきではないですが、一部ではどうにも実現不可能な提案もあったようで。
特に「閲覧しただけで罰則があるってどうよ?」とも思ったり。
意図的に探したのならばともかく、まったく別の検索をしていてたまたま閲覧した人間まで罰層の対象にするのだろうか。
また、日本が児童ポルノの発信元ですべての元凶だといわんばかりだったりね。
(そりゃ数は多いだろうさ。元々中継点なんだから情報も集まりやすいだろうさ)
さらに話の内容もさることながら、「自分は正義だ。間違っていない。」という感じの強弁が見ていてかなり不快でしたね。
まあ、それはともかく。
やはり、出てきましたねえ。
「コミックやアニメでの児童ポルノの禁止」
まあ、私も過激な児童ポルノのコミックやアニメには眉を顰めますが、だからと言って
禁止と声高に主張するの側の主張を認める気も毛頭ないんですよねえ。
理由は以下の3つ。
・被害者の不在
・判断基準の不明確
・一方的な視点での制度化の危険
「被害者の不在」は言うまでもなくそのまま。
被害者がいない以上、それを犯罪とするのはどうかということ。
ここは写真の児童ポルノとの大きな違いでもあります。
つまり、写真の場合は現実にあった被害であるのに対し、2次画像の場合は現実に被害にあっている人間はいない。
現在行われた犯罪に対し罰則があるのは当然ですが、行われてもいない犯罪は裁くことができません。
ただ、現実に行われる犯罪の予防という意識はあるでしょうが。しかし……
ここで「判断基準の不明確」が出てきます。
そもそも「どのような判断基準で犯罪とみなす」のか。
予防とするならば、どれだけのものを規制しなければいけないのか。
これが現実の児童ポルノであれば法的にどうであれ、被害者がどれだけ精神的苦痛を受けたのかで判断可能なのですが、「被害者不在」のため、どれだけのものがいけないのかという判断が難しくなります。
さらに実質検証が不可能なこともそれに追い打ちをかけます。
マスコミは児童ポルノのコミックが溢れているため犯罪が起きていると言っていますが、実際そうなのかは実証されていません。
最悪ただの個人的な資質で、コミックとは無関係な可能性もあるわけで、そのような場合は制度化はただの徒労に終わるわけです。
しかし、やらないよりはやった方がいい。
結果がついてこればという見方もあるかもしれないですが……
ここで「一方的な視点での制度化の危険」が発生します。
実は最も危険な問題はここにあると思うのですよ。
実際、「被害者不在」「検証できないための判断の不明確」は二次的なものです。
もし制度化しようものなら、正義の名を借りただけの一方的なマイノリティの抹殺が発生するんですよ。
現実廃止を主張する側は、児童ポルノを嗜好する側を「精神がこわれている」と主張しています。
おそらく反論する人が出てきた場合でも、「犯罪者予備軍を擁護する者」として聞く耳すら持たないでしょう。
そういう状況に陥った場合、目先の情や大衆受けのみを狙うマスコミは全く当てになりません。
つまり廃止を制度化しようとした場合、彼らは反対意見を聞き入れず自分の思うがままの制度を確立する危険があるのです。
これがどれだけ危険かは言うまでもないと思います。
無論彼らなりの善意はあると思いますが、少なくてもその善意による自制は期待できないと考えた方がいいでしょう。
(内部でそれを口に出そうものなら、即裏切り者扱いでしょうし)
わずか数人の犯罪者を予防するために、その千倍以上の人間に「犯罪者」の汚名を着せるというファシスト的な事態。
しかも本当に予防できているかどうかもわからない。
結局予防と言う名目で制度化した人間が「嫌いなもの」を排除し、「正義」を行ったという自己満足のみが残ることになるのです。
- 関連記事
テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済